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脱 皮毎年4月、すぐ近くを流れる蓬川(よも)が満開の桜でピンクに染まる。尼崎市蓬川町の分譲マンション「ザ・ガーデネスクシティ」に住む会社員の柳生英之さん(28)、和子さん(35)夫妻は2007年9月、市外から入居、その風景を3回見てきた。「駅から5分のマンションでこれほどきれいな桜が楽しめるなんて」。物価も安いし、思っていた以上に静かな環境だ。「尼崎にこんなところがあったんだね」。夫妻はそう言って顔を見合わせる。 マンションが立つ敷地には5年半前まで「明倫中学校」があった。この地区はかつての工場地帯で、戦後の復興期に大量の工員が流入した。だが、高齢化が一気に進行。05年4月、少子化で明倫中の統合が決まり、約3万5000平方メートルの広大な「空き地」が生まれた。「街が寂れる。若い世代にアピールできる起爆剤はないか」。市は「子育て施設や図書館など地域の交流拠点をつくること」を条件に共同企業体(JV)に約1万5000平方メートルを34億円で売却した。 JVは、07年にマンション3棟(計389戸)を建設し、分譲を始めた。市は残りの敷地に市営住宅1棟(186戸)を建設した。阪神出屋敷駅から徒歩約5分の<駅近>の立地。阪神間ではまず3000万円をくだらない約60平方メートルの新築マンションが、2400万円台から販売された。 〈起爆剤〉の効果は出た。マンションは完売し、08年、市の人口が38年ぶりに増加に転じた。同マンションのある蓬川町の人口は07~09年で約1000人増。同マンションでは入居開始から2年半で75人の子どもが生まれた。 この人口の伸びにより、この地区の市税収入は08、09の各年度で、それぞれ年間6000万円近く増えた。経済波及効果は年間6億円に上ると試算される。 事業を担当する市の山本敏史参与は「学校跡地にマンションを建設する自治体は珍しく、軌道に乗るまで不安だった。予想以上の効果にほっとした」と顔をほころばせる。 市は第2弾として、今年3月、常光寺小の跡地に一戸建てを建てることを条件に売却。安めの価格設定が人気を集め、1か月で62戸が完売となった。購入したのは30~40歳代の働き盛りがほとんどだった。 柳生さん夫妻が入居を決める前、妻和子さんの両親が「えっ? なんで尼崎なの?」とまゆをひそめたことがある。公害訴訟やアスベスト災害……。確かに当時の尼崎にはそんな負のイメージがつきまとったが、「今は違う。尼崎のイメージは変わった」。2人はそう思っている。 大阪市立大学の小長谷一之教授(都市経済論)は「世界中の工業地帯が、外側の住宅都市に若い世代が流出する『インナーリング問題』に悩まされている。しかし、尼崎市のケースはいわゆる内側に当たる旧工場地帯の学校跡地にマンションを建設したことが大正解。内側が明るくなれば、自然と若い世代が戻ってくる。尼崎は交通の便もよく、今後、さらなる成長が期待できる」と話す。 ◇ 14日告示される尼崎市長選で、8年ぶりに新市長が誕生する。再生に向けて変化の兆しが見え始めた工業都市の課題を探る。 【尼崎市の人口】 阪神間随一の工業都市として、戦後復興期から高度成長期にかけて人口が急増し、1970年にはピークの55万人を記録した。 しかし、工業の衰退とともに人口は減少。子育て家庭の市外流出も深刻で、明倫中があった大庄地区も98年から5年間の年齢別人口増減率で30~39歳、5~9歳が10%前後の減少を記録した。尼崎市の人口は2005年の国勢調査で46万2484人にとどまり、西宮市(46万5337人)に抜かれて、神戸、姫路両市に次ぐ県内第3の都市の座を明け渡した。 『読売新聞 兵庫』より管理見積.com PR |
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